☞ Mon Laferte

チリ出身の シンガーソングライター Mon Laferte は、すべての情熱を表現する声を持っている。個人的なことから政治的なことまで、彼女は、時には甘ったるくロマンティックなバラードを、時には尖った槍のようなハードロックを歌う。彼女の声は、アイルランド、スコットランドに伝わる女妖精の叫び声のように、悩ませ、噛みつき、囁き、感傷的になれば、耳障りに舞い上がる。それは、直接、あなたの胸に届くに違いない。
  現在38歳になるモン・ラフェルテは、ラテンアメリカでは、2003年にポピュラーソングのカバーアルバムを手始めに、ハードロック、ロカビリー、サルサ、ボレロ、ランチエラ、サイケレディクと挑戦した。彼女は年代物の正装で、髪に花を着け、肩の入れ墨を見せ歌う。
 「すべての人が宇宙」と「私は色んな声で歌うのが好きです、というのも私のパーソナリティのすべてを表現できるから、私が弱っているとき、私が強いとき、私が楽しんでいるとき、そして私の怒り。これがアートというものです。私はこのような感情をみんなに伝えたい、そして同じように感じて欲しいい。それから、私は私の歌を聞くことであなたに鳥肌を。」

 彼女のフルネームは Norma Monserrat Laferte Bustamante は、このコロナ騒ぎの時にもプロダクティブだ。 今年、彼女は二枚の異なるジャンルのアルバムをリリースした。彼女はいま北アメリカをツァーしている、木曜日にはラテングラミーで演奏する予定だ。
 2020年、彼女は「Seis (six)」 というアルバムを隔離政策が始まったメキシコでリリースした。4月に発売されたそれは、メキシコの地方の音楽、ノルテノ、バンダ、マリアッチなどを、ほとんどアコースティック楽器で演奏されている。10月29日には、いままでとはちょっと違う、彼女がレコーディングしたロサンゼルスのエアービアンドビーの名前をつけた「1940 Carmen」をリリースした。それはロサンゼルスの南カリフォルニア・フォークポップを感じさせ、初めての英語の曲がある。

  Metalica は メタルバンドとして30周年を記念する、ブラックアルバムとして知られる「The Metallica Blacklist 」に彼らも演奏している「Nothing esle Matters」という曲で、彼女の参加を要請した。彼女が9歳の時始めてギターを持って唄った曲で、スペイン語で歌い伝統的なチリの民族楽器でアンデス風のワルツに仕上がっている。

 2020年 ラフェルテは、メキシコに10年以上住んではいるが、メキシコで一番愛されたランチエラシンガー「Chavela Vargas」 が晩年を過ごしたTepoztlánという田舎の町に引越しした。Vargasのドキュメンタリーがラフェルテの想像力を刺激した、隔離政策のおりに彼女は家にスタジオをつくり、後にオーケストラ、ブラスを、リーモートセッッションで加えた。バンドのギタリストのSebastian Aracena が「Seis」をプロヂュースし、 後にラフェルテ自身がプロヂュースした「1940Carmen」 にもギターで参加した。 

「「Seis」は、去年の3月か4月に録音した。ワクチンもなく、何をしてもいいかわからなく、何が起こるかも分からなかった。そこで、モンが電話をかけてきて、一週間かそこら家に来て何かできるかどうか?と言ってきた。私は結局4ゕ月留まることになったが、すごく自然だった。というのも彼女は何をすべきかよく分かっていたから。」と、Aracena はビデオコールで話した。
 「Seis」では、ラフェルテ自身の歌の中で、人間関係、社会への闘争の中で、女性の力、欲望、苦しみ、忍耐について破裂しそうなVargasの歌に思いめぐらしている。  「Se va la vida (Life goes away) 」では、チリの女性の囚人たちを歌い、「La democracia (Democracy)」 では、「民主主義はどこにいった? 誰かが盗んだ」。と怒っている。   Aracena は、「彼女の社会認識は際立って、社会を見つめ、社会的文化の動きにとても敏感で、彼女の歌はあなたに他の人々の気持ちの感じる様を伝える」。と、言う。

 ラフェルテは、2018年にリリースしたアルバム「Norma」は、2019年にラテングラミーでベスト・オルタナティブ・アルバムを受賞した。それはたった一日でレコーディングされたが、ラテン音楽のすべてが表現さている。その授賞式で「チリでは、彼らは拷問し、レイプし、殺している」。と、裸の胸に書きチリの人権侵害を訴えた。
「Seis」には、「La mujer ( The woman)」という曲がある。メキシコのGloria Treviとデュエットし、ラテングラミーでは、ペストポップソングにノミネートされている。彼らはこの木曜日に演奏する。この曲は、最初彼女が非常に落ち込んでいる時に書いたが、最終的に、縋りつき、意気消沈した歌詞が「有害」であると判断し、こんどのTrevi とのヴァージョンでは、彼女をコントロールした「悲しい臆病者」を拒絶し、関係を終わらし生存本能についての歌にした。それは癒しのプロセスで、より良い歌になったという。

 「1940 Carmen」のアルバムは、その多くの曲は温かい南カリフォルニアのFolk-popと1950年代のR&Bギターリバーブの中で、よりリラックスした環境で録音された。「Placer Hollywood (Hollywood Pleasure)」は、アルバムのオープニングソングで三カ国語を使い、You と言う単語を長いメロディーの中で38回、注意深く、楽しく繰り返えされている。
 ツアーでは、それをオーディエンスが一緒に歌ってくれるのを楽しんだ。
 アルバムの最初のシングル曲「Algo es Mejor(Something is bettter)」では、オプチミズムを投げかけ、「Nina」では今だに生まれぬ子供に、「私は随分長くあなたを待っていた。私はあなたを大事にする」。と約束した。( 子供には恵まれなかった彼女は、この3月に出産の予定。)。それでもなお、その他の曲では重いトラウマを取り除こうとしている。

 ラフェルテがロスアンゼルスを訪れた理由はホルモンセラピーを受けて、妊娠できるかと調べることだった、というのも2009年に受けた甲状腺癌の放射線治療で卵巣を傷つけたからだ。それでもホルモン治療は効果あったのだが「ある日は前向きにハッピーで、ある日は怒り、落ち込んだ」。「その時私は私自身とは繋がってなかった」。

 ラフェルテが英語で曲を書くのは、身を守ることの一つの方法で、ジャンルを越えようとしてるのではない。「1940 Carmen」では、3曲が英語で、その一つ「A Crying Diamond」は歌手志望の貧しいティーンエイジャーが、「俺はあんたの救世主や、お前をスパースターにしたる」。と40代の男に弄ばれるのを歌い、「誰も夜中に派手な服を着て、潰れた靴で歩いていても、小さな田舎街では誰も彼女のいうことを信じない」。と。
 彼女は、スペイン語でこの曲を書こうとしたが、できなかった。「私は自分に何か役に立つことを言いたかった」。「たくさんのことを言いたいが、私の母国語では何故か恥ずかしいので、違う言語では何か勇気がでた、私はそんなに英語が話せるわけではない、ちょっとコヒーを注文するぐらい、英語はよく知らない、私はたくさんのことをあの曲の中で言っている訳ではない、私の母国語ではないから」。
 どんな言語であるにしろ、ラフェルテの激しさ、関わり様は間違いがない。「すべての私の曲は、私の記録です。私は私が経験したことを歌にする」。

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